自然が理解できない
どうも私は自然が理解出来ない、否、自然・植物に対して愛しいという感情を持てないらしい。
紆余曲折あってイタリア歌曲のOmbra mai fuに触れる機会があった。解説はwikipediaに丸投げする。
簡単に言えば「木陰っていいなあ!」っていう曲なのだが、詩を見た瞬間に思考が止まった。愛しい木の陰…って何……?
イタリア歌曲は基本的にバロック音楽の範疇だし、感情表現はあくまで様式美の上に存在するものだから厳密な理解は出来なくていいのかもしれないけれど。
思えば昔から自然に対して興味を持つことがなかったような気がする。
例えば私は人並みに数本毛が生えた程度に世界遺産が好きなわけだが、本を見る時はほぼ自然遺産は無視してた。複合遺産は好きだけど。
大学の卒業論文は世紀末美術だった(厳密には微妙に違うのだがぼかさせてもらう)。しかも口頭試問で「いや私印象派とかよく理解できないんで」とか今考えても意味不明な喧嘩を売ったし。というか印象派自体別に自然ばっかり描いてるわけでもないし。多分私が専らモネの『印象・日の出』とか『睡蓮』を想像しすぎなんだと思う。
音楽の印象派は好き。
長年ピアノを習ってきたけど、ピアノで自然表現に困ったことはないはず。そこに個人の自然に対する感情はあまり必要とされない気がする。
海が表題の音楽だと、「荒波」とか「穏やかな海原」とか、海というものの在り方を表現している気がする。少なくとも「私はあれこれの海が好きなんだ!」という表現方法は今までに求められたことはなかった。木が表題の音楽だと今ぱっと出て来るのはシベリウスの『樅の木』だけれど、風に吹かれる様子をピアノで表現するとしても「私は樅の木が好きだ!」という気持ちで弾くことはない。
演奏者個人のレベルだと好きだ!って思いながら弾いてる人もいるかもしれないけど…。
自然のことが嫌いなわけじゃないんです。人類ひいてはあらゆる動物が生まれてくるより遥か前に存在していた自然ってすげえなって思うんです。植物なんかは特に共生していかなければいけないんだけど。すげえなっていう以上に個人的な感情を持てないんだよね、何故か。
ゆとり教育時代の高校生物Iは5段階評価で4はもらえてたんだけどなあ。